大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成4年(わ)860号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実

被告人は、平成四年一〇月七日午前二時三〇分ころ、埼玉県川口市《番地略》所在の乙山化学工業株式会社(代表取締役C)敷地内において、同社所有の軽貨物自動車一台(スバルレックス・白色、時価約一七万円相当。以下、本件車両という。)を窃取したものである。

第二  被告人及び弁護人の主張の概略

被告人は、犯行当夜自宅で友人達と寝ていたのであつて、本件車両を盗んだことはない。もつとも、平成四年一〇月一一日(以下、平成四年中の月日については、年の表示は省略する)無免許運転の容疑で逮捕された際、被告人は本件車両を運転していたが、これは当時本件車両を使用していた友人のAがこの車は借りてきたものだと言つていたので、被告人もそれを信じて同人から借受け使用していたに過ぎない。被告人は、無免許運転による逮捕の後、右のような事情を訴え続けたが、取り調べに当たつた警察官はこれを信用せず、執拗に自白を求めたため、ついに勾留期間更新後の一〇月二七日になつて、犯行当夜被告人宅に出入りしていた友人の右A及びB(但し、両名の住所等は知らない)と共に本件車両を盗み出した旨の虚偽の供述をするに至つたものである。従つて、その自白は信用性に欠けるものであり、被告人は無罪である。

第三  本件の問題点

一  関係証拠によれば、被告人は、一〇月一一日午前八時二〇分ころ、自宅近くで本件車両を運転していたところを無免許運転の容疑で逮捕されたが、右車両は四日前の一〇月六日午後七時ころから翌七日午前八時二〇分ころ迄の間に、公訴事実記載の場所で盗難に遭つたものであつた。そこで、被告人は右窃盗の容疑でも取り調べを受け、逮捕の翌日である一〇月一二日午後一時、同容疑で再逮捕されて勾留されたが、被告人は取り調べ当初から右窃盗容疑を否認し、本件車両は前記のように友人のAから借り受けたものと主張していた。しかし、勾留期間延長後の同月二六日になつて、本件車両を盗んだことを認めるに至り、翌二七日盗難現場に自ら警察官を案内したうえ、司法警察員に対し、A及びBと共に本件車両を盗んだことを認める供述調書の作成に応じ、二八日には更に詳しい供述をした後、同月三〇日には検察官に対しても簡単な自白調書の作成に応じたことが認められる。しかし、第一回公判では、再び前記第二のとおり本件車両の窃取を否認するに至つたものである。

二  以上の経過と前記の被告人らの主張等からすれば、本件においては、1否認から自白に至つた経緯に照らして、被告人の前記自白調書の信用性の有無が問題となると共に、2被告人が本件車両を現に使用していた事実が、被告人の弁解と関連して、本件車両の窃取の事実に対してどのような証明力を有するかが検討の課題となろう。

以下、順次判断する。

第四  当裁判所の判断

一  自白の信用性について

1  この点で先ず問題としなければならないのは、被告人の自白と本件公訴事実との食い違いである。

即ち、前記被告人の各自白調書によると、被告人はA、Bとともに本件車両を盗み出したと供述しており、その際、自分は見張りをしていたに過ぎないというのである。にもかかわらず、本件公訴事実は、前記のとおり、その犯行を被告人の単独犯行としているのであるから、起訴検察官は、被告人の自白のうち、共犯者がいたという部分は採用し難いと考えたものと思われる。

この点、立合検察官も、論告において、供述というものは真実と虚偽とを織り混ぜてなされることがあり、本件で共犯者がいるという被告人の供述部分も、(1)自分は見張りをしていただけであるということにして、いわば追従的、消極的な犯行関与形態とし、他の二名よりも責任が軽くなることを狙つたものであり、しかも、(2)共犯者の氏名を特異なものでなく、容易に考えつくものであり、(3)現場状況等については客観的証拠と被告人の自白は一致するのに、共犯者の二名に関する供述についてはその存在自体の裏付けが取れないことなどからすると、被告人の「A」「B」に関する供述は、被告人自らの刑事責任を少しでも軽減しようという意図に基づく虚偽の供述と見るべきである、と言うのである。

なるほど、共犯者に関する被告人の自白に対して、そのような見方をすることも論理的には可能と思われるが、そうであれば、当然その共犯者は捜査官に検挙可能な者、あるいは(暴力団組員が既に死亡した者を共犯者に仕立てるように)少なくともその存在を確実に推測させるものでなくてはならないであろう。そうでなければ、その共犯者に関する供述は直ちに虚偽と見抜かれ、責任を軽くしようとの意図に反して却つて自らに不利になりかねないからである。しかし、本件では、前記のとおり、起訴検察官も含めて、被告人の共犯者に関する供述は、架空の人物を共犯者とする虚偽の供述と見ているのであつて、そうすると、検察官がその虚偽性を強調すればするだけ、被告人は、それほど嘘が簡単に判るような共犯者、即ち、却つて自らに不利になるような話をわざわざ仕立てたのであろうかとの疑問が強まることとなる。

しかも、検察官が裏付けが取れないというA及びBについては、前記自白調書において、被告人が、同人らの住所は分からないとしながらも、その人相、風体、年齢、身長、使用車両の特徴等相当具体的な供述をし(Aについてはポケットベルの呼び出し番号まで明らかにして)、現に被告人の行動可能な範囲に相当多数の同性同名の者がいることが免許取得者の調査から明らかになつた(Aについても、二〇歳から三〇歳までに限つても、浦和市内だけで九名、埼玉県内では一四〇名。Bについても埼玉県内に二三名の存在がそれぞれ確認されている。)にもかかわらず、捜査官は、それらの者がいずれも犯罪歴を有しないという一事により(この事を被告人は何ら言及していない。)、早々にそれ以上の捜査を打ち切つているのである(証人Dの証言及び同人作成の「窃盗(自動車盗)被疑者の総括捜査について」と題する書面、司法巡査E作成の「窃盗被疑者甲野太郎の共犯者の捜査について」と題する書面)。そうすると、共犯者についての被告人の供述が虚偽か否かは、いずれにせよ、未だ検察官が言うほどには明白ではない、と言うべきである。

従つて、被告人の自白を共犯者の部分と被告人単独の部分に区別して、前者のみに虚偽性を認める検察官の意見には賛成することが出来ない。

もつとも、このように考えてくると、それでは被告人は共犯者を含めて真実を供述しているのではないかとの見方も可能となるが、他方、被告人の言うように、共犯者の部分も含めて、その供述は全て虚偽であるという可能性も否定できないことになる。そのいずれであるかを判断するには、被告人が本件自白をするに至つた経緯も大いに影響すると思われるので、次に、その点を検討する。

2  前記のとおり、被告人は無免許運転容疑で逮捕されてから一五日の間本件窃盗についての容疑を否認していたのであるが、その際被告人の取り調べに当たつたのは、前件の窃盗事件でも取調官であつたD巡査部長であつて、同人の証言によれば、同巡査部長は、被告人の従前の犯行内容(前科二犯・その多くが自動車盗もしくは車上盗)やその性向等を熟知しており、刑務所出所時(平成四年五月七日)から被告人の動向に注意を払つていた者である。同人は、本件車両はAから借り受けたものであるとの被告人の弁解については、前記のとおり、同性同名の者のうちに犯罪歴を持つた者がいないということをもつて、取り調べを始めて二、三日でその捜査を早々に打切り、当夜被告人宅で被告人と一緒に泊まつていた友人がいるという被告人の言い分についての捜査、いわゆる被告人のアリバイについての捜査も実際にはなんら手をつけないまま、被告人自身の取り調べを続行したものである。そうすると、本件のような単純な窃盗については、その捜査の方法としては、結局、被告人の自白を得ることしかなくなるのであつて、そうだとすると、朝から晩まで自白を求められたという被告人の公判供述も、あながち嘘を言つているとも思えなくなる。現に、D巡査部長も、その証言で、被告人の取り調べは土、日を除いて連日朝九時半ころから夕方五時半ころまで行い、その内容は主として自白を求めるものにならざるを得なくなつたことを認めているのである。そのうえ、同人作成の一二月一一日付け捜査報告書によれば、被告人が自白に転じた際には、「俺がやつたことにすればいいだろう。」、「俺がやつたことにしろよ。」等と言つて、不貞腐れた態度を示したというのである。被告人は、本件公判中においても、その途中、審理が長びきそうになつた際、「もういいです。」と言い出し、さらに、最終陳述においても、「もう(刑務所にいつて)勤めてきます。」というなげやりな態度を示し、また、検察官に対する供述調書においても、三人で本件車両を盗んだことは認めるので、その時の状況についてくどくど話したくないというような発言が録取されているのである。このような被告人の言動に、持病(躁鬱病)等を考え併せると、被告人は、執拗に同じことを聞き続けられた際には、その状況から抜け出るために、心ならずも虚偽の供述をする可能性を否定出来ない。そうすると、一五日間本件車両の窃盗の容疑で執拗に自白を求め続けられた被告人が、面倒になつて、虚偽の自白に至ることは充分あり得ることと言わなければならず、その自白の信用性に対する疑いをにわかに否定し難いこととなる。

3  しかも、前記自白内容は、その内容においても極めて不自然な点が多いものである。

即ち、〈1〉被告人は前記自白の中で、Aは盗難現場にあつたアコーデオン式門扉に掛けられていた鍵をドライバーで壊そうとしていたと供述している。しかし、当裁判所の検証結果及び証人F子の証言によれば、本件門扉で壊されたのは、その鍵をかけるL字型の掛け金の座金のネジの部分であり、鍵そのものではない。また、〈2〉犯行後門扉は閉じられ、外されたネジのうち一本は再び座金に緩く差し込まれていて、南京錠も何ら手をつけられずにそのまま右掛け金にとりつけられていたのである。にもかかわらず、被告人の前記自白には、犯行後に門扉を閉めたことやネジを再度取りつけたことは何ら触れられていない。単に、「Aが門の扉を開けてBが持つていた鍵で車のエンジンをかけ、一旦車をバックさせて走らせて、俺がすぐに後部座席に乗り、Aが助手席に乗り、Bが運転して盗んだのです。」(司法警察員に対する一〇月二八日付け供述調書)というのみである。同様に、右自白では、〈3〉鍵を壊す音で付近の人家の明かりがついたので、二時間ほど近くの暗がりに身を隠していたという特異な事柄を供述しながら、その場所やその間の行動についても何ら触れるところがなく、〈4〉門扉の中に駐車してあつた盗み難い古い軽自動車である本件車両を、何故わざわざ盗ろうと考えたのか、〈5〉本件時には、同じ敷地内にあつた二台の自動車も車内が荒らされていたが、それは誰が何時したことかというような、犯人であれば当然触れられて然るべき事柄についても何ら供述されておらず、その自白は極めて具体性に乏しいものである。そうすると、このような、現場の状況と一致しない、しかも極めて具体性に乏しい不自然な供述がなされたのは、結局、被告人が現場に行つたことが無いためではないかとの疑いを挟まざるを得ないことになる(なお、被告人を取り調べたD巡査部長が作成した一二月一一日付け捜査報告書では、「南京錠」が壊されたとの記載があり、そうすると、被告人の自白調書で鍵が壊されたとの供述が録取されているのは、右報告書で示されている同巡査部長の思い込みが反映したものとも考えられる。)。

4  以上のような、被告人の自白内容と自白に至る経緯からすると、その自白は、真実を述べたというよりは、共犯者の存在も含めて虚偽である可能性が強いと見るのが相当である。

5  もつとも、検察官は、被告人の自白のうち、Aによる鍵の破壊で大きな音が生じて隣家の者が起きてきたので、二時間程様子を見てから盗み出した、という点が、証人Gの証言により裏付けられたので、被告人の自白の信用性は十分であると言う。しかし、右証人は弁論終結後に検察官により再開申請されて取り調べられたものであるうえ、その証言内容も、被告人の自白が、単に「近所の家の明かりがついたので」というのに対し、「明かりをつけてテレビを見ていたが、音がしたので雨戸を開け、身を乗り出して辺りを見回した」というものであり(そうであれば、自白内容も、「突然雨戸が開いて」となるのが普通である)、また、自白内容が「それから二時間程様子を見て自動車を盗み出した」というのに対し、証言は「(雨戸を閉めたか閉めなかつたかはつきりしないが)その後も一〇分か二〇分よりは長いと思うが、テレビを続けて見ており、その間にエンジンの音がした。その後も明け方四時ころまでテレビを見ていた。」という趣旨を述べているのであつて(もし雨戸を閉めれば二時間も待つことは不自然であるし、雨戸を閉めなければ二時間待つても車を盗み出すことは無理である)、両者の間には、その状況に大きな差異があり、従つて、この証言を被告人の自白の裏付けとすることは難しい。また、同証人は、翌日右の経験を被害会社の従業員に話した、今回の証言前に訪ねてきた警察官は既に自分の話を知つているようだつた、ともいうのであつて、そうすると、右自白部分が秘密の暴露になるかについても疑問が生じ、結局、右証言をもつて前記のような種々の疑問を払拭するには、なお足りないと言うべきである(但し、そうすると何故被告人は、異例ともいうべき二時間という時間を供述したのかという疑問が生じることとなるが、この点についての「当夜はA、Bが午前零時ころ外出して三、四時間たつて戻つてきたので、その時間にあわせたもの」という趣旨の被告人の弁解も、あり得ることとして、にわかには排斥出来ないものがある)。

6  さらに、検察官は、被告人が前記のとおり一〇月二七日に自ら本件現場に捜査官を案内していることも挙げて、その自白の信用性に問題はないと主張する。しかし、被告人がこの点について、本件現場の工場の名前と住所を書いたガソリンの給油領収書が借り受けた本件車両内にあり、それを覚えていたので現場まで案内できたと弁解する点も、直ちに不合理とは言えないと思われる。なぜならば、被告人は、前記D巡査部長も認めるように、他の能力はさておき、従来から自らの犯行の日時や場所については極めて詳細に記憶する能力をもつており(事実、本件車両内にあつた数多い物品の窃盗容疑での六回にわたる現場引き当たりも被告人の案内でスムーズに行われている。)、従つて、被告人が右領収書の内容を覚えていたということも直ちには否定し難いうえ、本件現場は被告人の家から約一・五キロメートルと近く、被告人にとつていわゆる土地勘のある場所であつて、住所さえ分かれば案内が可能な場所なのである。従つて、被告人が本件現場まで捜査官を案内したことも、これを自白の真実性の担保にするには、なお問題が残ると言うべきである。却つて、本件現場が当時被告人の勾留場所である警察署から直線距離にして僅か一キロメートル位しか離れていない場所(D証言第一回)であるにもかかわらず、被告人が車で案内して現場に辿り着くのに約三〇分も掛かつた(被告人供述第三回)という事実のほうが注目されるべきである。何故なら、もし、被告人が実際に本件現場で自ら犯行に及んでいるのであれば、前記自白調書では、その直前適当な車を見つけて付近を歩き回つたというのであるから、土地勘のある被告人が同じ場所を案内するのに、それほどまでに時間が掛かるとは思われないからである。このように見てくると、被告人が現場を案内したからといつて、これが直ちに前記自白の信用性の裏付けになるとは思われない。

7  しかも、更に奇妙なことに、被告人は、その取り調べ中、本件車両の車内から発見された、被害会社のものとは異なる九一点の物品のうち、携帯電話等相当部分については自ら盗んだものであることを認め、六回にわたつて現場を案内しているのである。そうすると、被告人は累犯前科を有する立場であるから、右盗難品の一部にせよその窃取を認めれば起訴されて実刑を科せられる立場にあるのであつて、従つて、そのような中で本件車両の窃取のみを認めないことの無益さは十分承知していたものと思われる。にもかかわらず、被告人は、本件車両のみは自分が盗んだのではないと主張しているのであるから(本件車両は古い軽自動車で財産的価値も大きくない。)、その主張は十分な吟味が必要と言わなければならない。

8  もつとも、そうすると、何故被告人は本件を共犯事件として自白したのかとの疑問が生じるであろう。この点、被告人は、犯行当夜被告人宅に泊まつていたA及びBとも犯行時刻ころ外出していたし、その後本件車両を使用していたので、やがて同人らの指紋も本件車両から検出されるであろうから、同人らが本件車両を盗んできたものとして同人らを主犯とし、自分が同じ責任を負うのも馬鹿らしいので、自分自身は見張役にしたというのである。右のような本件を共犯事件とするに至つた理由は、前記のような虚偽自白を疑わせる諸事情に照らせば、これを不自然として否定することは難しい。

しかし、そうは言つても、被告人は何より現に本件車両を運転していたのであるから、その事実をどのように評価するかの問題が残ることとなる。そこで、次に、右の点について検討する。

三  被告人が本件車両を運転していた事実について

1  被告人が一〇月一一日に本件車両を運転していたことは、前記のとおり明白な事実であるうえ、証人H子の証言や被告人の当公判廷における供述によれば、それより早い時期から被告人が本件車両を使用していたのではないかとの疑いもある。そうすると、右の事実は、被告人が本件車両を窃取したのではないかとの疑いを強くすると共に、前記被告人の自白の信用性にも影響を与えると考えられる。

2  ところで、一般に、窃盗の被害物件の所持がその所持者を窃盗犯人と推認させるのは、〈1〉被害発生の直後であれば、被害品はいまだ窃盗犯人の手中にあることが多いという経験則、及び〈2〉その時点であれば、窃盗以外の方法で右物品を入手した者は、自己の入手方法について具体的に弁明し、容易にその立証をすることもできるはずであるという論理則を前提とするものである(当庁平成二年三月二八日判決、判例タイムズ七三一号二四七頁参照)。そうすると、右〈1〉の点ではその所持と被害発生日の間隔の程度が、〈2〉については、その弁解の合理性、蓋然性の程度がそれぞれ問題となるであろう。

そこで、本件について右の各点を見ていくと、〈1〉被告人が一〇月一一日ころもしくはその一、二日前にも本件車両を使用していたことは、被害発生日に極めて近接しており、一次的には被告人に本件車両の窃盗犯人との強い疑いを招くものであり、被告人がこれまで同種の犯行を内容とする前科を有することも、この疑いを更に強めるものと言えよう。しかし、一方では、〈2〉被告人が前記のとおり、犯行当夜は自宅で友人達と寝ていたし、本件車両はその後友人のAから借りたものであると弁解している以上、その弁解の真実性の程度に照らして、右車両の使用事実の持つ証明力の程度を見極めなくてはならない(なお、右主張のうち、アリバイを言う部分は、その性質上別個に判断すべきもののようにも思われるが、借受け使用の前提としてないしこれと相まつて、近接所持の推定力を覆す事実とも言いうるので、ここで判断をしておく。)。

3  まず、犯行当夜のアリバイであるが、被告人が捜査当初から、被告人の当時の女友達であつたH子及び被告人の兄や友人等が、犯行当夜被告人宅に泊まつていたと主張していたことは、前記D巡査部長もこれを認めている。にもかかわらず、同巡査部長はその被告人の弁解を全く取り上げず、その真偽を判別するための捜査をしなかつたのである。しかし、被告人の母親や右H子の証言によれば、当時被告人宅には被告人や右H子の外、被告人の兄、その女友達、被告人の友人等多くの者が出入りしていたことが認められるのであつて、そうすると、被告人のアリバイの弁解も無碍には斥けられないものがある。もつとも、今回、右H子が証人として、犯行当夜は被告人宅に泊まつたことはなく、同日も含めてA及びBという名前の友人は被告人宅に出入りしていない旨の証言をしたが、同証人は、本件公判になつてから検察官が始めて申請取り調べに至つたものであるうえ、その証言内容も、日時等について理由もなく異様に詳しく、かつ、明確であつて(被告人宅に泊まつた日等は手帳に書いていたと言いながら証言の半年前に捨てたともいう)、その身分関係(以前は被告人と一時同棲していたが、やがて別れて妊娠していた被告人の子供を中絶し、現在は別の男性と同棲している。)をも併せ考えると、同子の証言を直ちに信用するには難しいものがある。しかも、なお被告人が主張する同女以外の友人らについては、何ら捜査の対象となつておらず、被告人のアリバイに関する捜査は真に不十分であつて、この点についての被告人の弁解が不合理であるとは断じ難い。

4  次に、被告人が本件車両を借り受けた相手というAやBの存在についての捜査は、これまた前記のとおり甚だ不十分であつて、当裁判所として同人らが存在しないであろうとの心証を抱くには至らず、その弁解が虚偽のものと断定出来ないことも、前記のとおりである。被告人が両名の住所を知らないということも、若い被告人の雑多な交遊状態に照らせば、不自然と決めつけることも出来ない。しかも、被告人の母親は、被告人が無免許運転の容疑で逮捕される直前、本件車両の置いてあつた場所のほうから二人連れの男がやつてきたのに出会つたが、そのうちの一人が被告人であり、もう一人は以前顔を見たことのある男であつたと証言しているのである。そうすると、この点は、被告人がその弁解のなかで、「一一日の朝、Aを駅に送つて別れた。」と言つていることに符合しないでもない。(但し、A、Bの両名とも、被告人が別の人物を庇つて仮名を用いているとの推測も可能である。)。

5  そうすると、被告人の本件車両の使用理由についての弁解も、これを一概に不合理として排斥するのは難しいことになり、ひいて、本件車両の使用事実が被告人の犯行を推認させるに十分な証明力を持つとは、にわかに認め難いこととなる。

四  結論

以上のように、本件については、その自白の信用性に疑問があり、また、被告人が本件車両を運転していたという事実も、被告人の犯行を認めさせ得るだけの証明力を有しているとは考えられないので、結局、本件公訴事実については証明がないことになる。

よつて、本件公訴事実については、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをすることとする。

(裁判官 須藤 繁)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例